トランプ政権下でビザ取得!アメリカ移住の経緯①

こんにちは。MINICです。

まだまだ暑いミシガンですが、朝晩は15℃前後まで下がったりと秋の気配も出てきました。私が住んでいる市では昨日から子供たちの学校(新年度)が始まり、長女は2nd Grade、長男はKindergartenへ登校する日々が始まりました。私はというと、そろそろ秋シーズンが始まるサーモン釣りに行くために情報収集に励む毎日(笑)

 

今回は我が家が駐在員を経てアメリカに移住=現地雇用になった経緯の記録です。トランプ政権が終わりバイデン政権になって移民にも寛容になりつつある(と信じている)アメリカですが、ビザ発給が厳しかったトランプ政権真っ只中に奇跡的にもビザを取得できたお話です。アメリカに渡って1発かましてやりたいとアメリカンドリームを夢見ている人の為に私のビザ取得までの経緯を共有したい思います。

 

3年前の2019年、移民政策を強めていたトランプ政権の下でビザを取得し、再渡米=移住することになりました。その前年の2018年に同じアメリカからの駐在を急遽終えて本帰国したばかりですが・・・。

元々2015年から兼ねてからの希望が叶ってアメリカ駐在を開始した我が家。前々任、前任からの流れでいくと任期は5年。5年でしっかり英語が喋れるようになり、拠点間(日本とアメリカ)の橋渡しする存在になれるようになり、アメリカ文化を学び、米人の友人を作り、アメリカで釣りを行って・・・といろんな野望を持って日々精進していましたが・・・・・・。

駐在2年目から会社の状況のよってその野望の雲行きが怪しくなり始めました。2018年に前の勤め先が会社統合する事になり、それによって我々北米駐在員に色々なことが起こり、私にとっては不本意ながら帰任となって本帰国しました。
元々は会社統合によって社名が変わるため、新しい社名でビザ更新して残り2年の任期満了まで駐在を続けるという話で進んでいましたが、そのビザが切れる(=正式に会社が統合する日)の1週間前の祝日の朝、北米統括する日本人のお偉いさんから「あなたは帰任にすることになりました。早々に帰任準備をして帰国するように」を1本の電話が。帰任命令というやつですね。

正直、「は?なんでやねん!先週まで”あなた達駐在員は必要なので残します”って言うてたやん!」と思いましたが、そこはサラリーマン。会社辞令なので逆らえません。

電話1本のみで帰国命令が出ましたが、そこからは引越準備や子供の事、全て自分でやる必要があったのでてんてこ舞い。急に帰れと言われてもココはアメリカ。日本国内の引越とは訳が違います。とりあえず引越し業者に連絡して約1か月先の引越日を決めて帰国準備開始。幸いにも、ほとんどの駐在員が同じタイミングで帰任だったため、引越し業者も大忙しで日にちが中々空いていないという事で、最後の思いで作りにディズニーワールドに行ったりと少し余裕をもって帰国準備できましたが(笑)

しかも社名が変わった後は今のビザが無効になるので仕事ができない・・・。
駐在先のアメリカ支社側も就労ビザが無い人間に給与を支給することも仕事をさせるわけにはいかないので、セキュリティバッジや健康保険等全て社名変更のタイミングで取り上げられました。。。
唯一、アパートと付与されていた社用車、会社PCと会社携帯のみ帰国直前まで使わせてもらえるように交渉しましたが、それ以外は「もうあなたはうちの社員じゃないんだから、勝手に出入りできないし、ベネフィットもないわよ」ってなドライな感じ。さすがアメリカ(汗)

本帰国までの間、会社に行けない、仕事もできない、でも引越まで時間もあるし早急に荷物梱包する必要もないからもうちょっと先でいいかーとなると平日はやることが無い!!!妻や子供は買い物行ったりESL行ったりと、普段通りの生活を続けていたので家で1人。いやー、定年退職した人の気持ちが少し分かった瞬間でしたね(笑)

そんなこんなで帰任命令から約1か月半後、無事に日本へ帰国。帰国後は住まいを決めたり車を買ったり、アメリカから送った荷物を片付けたりと、家族全員日本での生活基盤を立てることに必死でした。

真夏の暑い時期に船便が届き、暑い部屋で開梱しては「なんでこんなもん送ったんや?」という自問自答を繰り返しながらなんとか片付け完了。(放置した箱も多数有)

帰国後3か月程で子供たちの保育園が決まり、妻も仕事に出てようやく落ち着いた日本生活が始まったのでした。

 

と、今回は駐在員から本帰国までの経緯=序章をなります。

この後、アメリカ熱が冷めない内にアメリカ移住を夢見てコソコソ転職活動をすることになります。

 

MINIC