【旅行記】アッパーミシガン・Petoskey&Charlevoix ー2日目ー

こんばんわ。MINICです。

 

さぁ、2日目です。

早朝3時に起きて家族を起こさぬようにコソコソとホテルを出てCharlevoixの埠頭へ。運転中に遠くの方で見える稲光をよそにサーモンへの期待に胸を膨らませます(笑)が、埠頭先端に到着して2投した所で遠くの方でゴロゴロと鳴り出しだのでこれはヤバいと直感。すぐさま駐車場に戻って車内で少し様子を見る事に。車に戻って10分もしないザザぶりの大雨が・・・。ホテル出る前の天気予報は4時台のみ雷の可能性あり、4時~6時まで降水確率は30%、7時からは曇りと天気は大丈夫そうと判断したけどこの1時間で天気予報が激変。サンダーストームで8時頃までは大雨に。こりゃどうしようもないので諦めてホテルへ帰る事に。サーモン釣りがメイン目的の旅行ですが、釣りができず終いになりそうです。

 

ホテルに帰った後は朝までもうひと眠り。家族で朝食を食べてチェックアウトです。雨が上がったので再度Petoskeyの川へ。時間も9時前と早いので場所が空いてると思いきや満員です。少しだけ時間をもらいますが、1時間程で納竿。

 

子供たちはまだ楽しいこと何1つしていないので、サーモンは諦めて子供タイムです。再度30分かけてCharlevoixのビーチへ。

湖水浴&水遊びの予定が気温20℃とひんやり気候、風強め、波も超高い、ととてもじゃないけど湖には入れません。油断すると波に持っていかれて溺れるパターンの状況です。それでもどうしても湖で遊びたいという子どもたちの要望により、水着にパーカーという滑稽な姿で砂遊び+ペトスキーストーン探しをしました。気温・水温は低いけど、日差しがあるおかげで砂遊びがはかどる(笑) でもうっかりしてると波がすぐ足元まで来て、子供のスコップが1つ流されました。

 

2時間くらいガッツリ遊んで子供たちは満足。ペトスキーストーンも小さくて模様の薄いけど数個ゲットできました。写真は選定した3個。怪しい石は全て持ち帰ったのでガレージには数十個の石が転がっておりますが(笑)

 

その後は再びPetoskeyに戻ってきてダウンタウンにあるお洒落なカフェで遅めのお昼ごはん。フレンチトーストやパンケーキが食べたかたけどBreakfastオンリーで頼めなかった。。。なので私はアボカドBLTを、妻はターキアボカドサンドイッチ、子供たちはキッズミールをオーダー。値段は高めですがどれもおいしかったー。

 

腹ごしらえも済んだので再度川へ行ってサーモン釣り再開!と言いたい所ですが、時間ももう2時半を過ぎてる。家まで3時間半はかかるので、後ろ髪を引かれますが帰路に。途中夕飯を子供たちのリクエストに応えてBWW(Buffalo Wild Wings)で手羽先とビールを頂いてこの旅は終了です。


いやー、釣りがメイン目的の旅行なのにほどんど釣りができない、なんとも不完全燃焼な釣り旅行でした(笑)釣りはあまりできず、釣果もボウズでしたが、閑静でお洒落な町で家族とのんびりできたので総合するといい旅でした!こんな旅に付き合ってくれた家族に感謝ですね!!

 

それではまた!!!

 

MINIC

 

トランプ政権下でビザ取得!アメリカ移住の経緯④

こんにちわ。MINICです。

 

さて、前回の続き、最終章です。

オファーレターにサインをして提出したので、ここからはビザ申請のプロセスに入ります。オファーレターにサインをしたという事は、当たり前ですが今勤めている会社を辞める事になります。国内転職であればこの時点で会社に辞める事を申し出て、退職日等の調整を始めると思いますが、私の場合そうはいきません。就労ビザが我がパスポートに貼り付いて手元に来るまでは油断できません。

アメリカ移民局から認めてもらってビザが下りなければ渡米できず、オファーも取り消される可能性もあります。辞表出した後にビザ下りませんでした、オファー取り消されました、となる家族全員で路頭に迷うことになるます(汗)なので、会社には何もしてませんよ?的な顔してばれないように水面下でビザ申請。

 

駐在が決まった際のビザ申請は、必要書類を全て会社の人事へ提出し、人事が移民弁護士とやり年しながらビザ取得をしました。が、今回は全て自分で進めることになります。と言っても、新しい会社が利用しているビザ用システムを使って、そこに必要書類をアップロードして移民弁護士とやり取りを行う感じでした。

申請費用については、私の分は会社が費用を負担してくれますが、家族(妻と長女。長男は米国生まれで国籍持ってるのでビザ不要)の分は自己負担です。会社からすると社員しか面倒見ないというスタンスですね。渡米費用(飛行機のチケット)もそうでしたね。

 

ビザ申請自体は3月半ばから始めて移民弁護士と色々やり取りをしながら、ビザの書類が出来上がったのが6月半ば。約3ヶ月かかりました。(当時の仕事やプライベートの状況もあったので結構のんびりしていた)
その後米国大使館に面接予約をしていざ面接。面接については駐在時に経験しているけどビザの種類が違うのでちょっと心配でしたが、何事もなくクリア。無事に7月半ばにビザを取得することがきました。

 

ビザ取得が完了すると、それまでは何の連絡もなかったもう現会社のHRから「いつから渡米して仕事初めれるか?できるだけ早く渡米してほしい」と猛プッシュ!当時の上司に会社を辞める事を打ち明け、受け持っていた業務内容の進捗状況や引き継ぎをどうするか?期間は?等色々相談。プライベートでも妻も仕事を辞めるタイミング、子供達の保育園の行事等があったので、その辺りも考慮した上で退職日を決めて退職に至りました。退職日が決まると渡米の日程も決まってくるので、それに合わせて荷造り開始。車を買ったりアパート決めたりと生活基盤を整えるために8月末にまずは1人で渡米することに決まったので、自分と一緒に飛行機で持っていく荷物を最大限にスーツケースに詰め込み、私の荷物や当分使わなくてもいい物を船便の第一便として発送する準備を開始。2018年の夏、クソ暑い中アメリカ届いた船便のダンボールを開けて片付けしてたのに、2019年の夏は同じくクソ暑い中船便で送るダンボールに荷物を詰めていましたね(笑)

 

そして3年前のちょうど今頃、9月のレイバーデイ明けから現会社で現地雇用社員として入社。約2か月間ホテルで暮らしながら車購入、アパート探しをして、10月末に早速1週間の有給を使って家族を迎えに一旦帰国。日本で済んでいたアパートや妻の車の売却、引越し作業等を終え、再び家族と共にアメリカへ。

 

こんな感じで、本帰国して1年3ヶ月ですが、再びアメリカでの生活がスタートしました。しかも今回は期限も無ければ雇用保障も無し。つまりいつレイオフされるかも分からない現地雇用社員。
今思い返すと、引越費用や渡米にかかる飛行機代、車や住まい等全て自費なので出費がかなりかさみました・・・。駐在員はなんて恵まれてたんや・・・と改めて実感しましたね。
そしてアメリカで駐在員としてオフィスに日本人1人という環境下で2年半仕事をこなした経験はあるものの、本当に現地雇用社員としてやっていけるのか?と不安が大きかった記憶があります。
特に業種は同じ自動車業界ですが、扱っている製品が異なる上、アメリカに戻る事を優先にしていたために採用されたポジションが少し違っていたので、さらに不安が上乗せされていましたね・・・。

そんな中の2か月間、家族と会えない1人での生活は精神的にもキツかったー(汗)今となってはいい思い出です(笑)

今現在は入社して約2年間、最初に採用された部署で担当した製品立ち上げまでしっかり完結させたタイミングでたまたま社内の応募要項で過去12年従事してきた自分の専門分野のオープンポジションがあったので社内応募、面接、採用されたので去年から部署異動。元の畑に戻れた事もあり、同僚達と楽しくやってます。

 

正直、今後もどうなるか分かりません。特にまだグリーンカード保持者でなくてビザで就労している状況ので、クビになると無職となり早急に日本に帰らなければならなくなります。(グリーンカードは申請中ですが手に入れるまではまだまだ時間がかかります。グリーンカードについては今後別記事を上げたいと思います)

でもまぁ、自分で決めた道。何があってもやっていくしかないですね。
肩をトントンされて「明日から来なくていいよ」なんて言われないように、がんばっていきます。

 

しかし・・・・・まさかこんなに早く戻れるとは思ってもいなかった、いや、むしろもう戻れないと思っていたので自分でもビックリ。オファー受けると言う決断してから約半年あったけど、逆にもう少し日本で居てもよかったかなと思ったり、日本でやり残した事があったという・・・・。贅沢な話ですが・・・。

人生最大の決断でしたが、あの時日本でもう少し・・・と思ってオファーを断っていたら次は無かったと思うし後悔していたと思います。今後も何が起こるか分かりませんが、人生一度きりなので後悔しないようにしっかり決断していきたいですね。

 

こんな感じでどこにでもいる純日本人のサラリーマンがアメリカの現地雇用としてトランプ政権下でビザを取得して移住した経緯でした。

おしまい。

 

MINIC

【旅行記】アッパーミシガン・Petoskey&Charlevoix ー1日目ー

こんばんわ。MINICです。

 

アメリカの第一月曜はLabor Dayで祝日です。会社が休みになる数少ない祝日です。我が家は7月から8月にかけて一時帰国して金欠なのでどこにも行く予定は立てていませんでしたが、ミシガン北部の水温がサーモン釣りの適温になってきているので、土曜の夜中から1人でサーモン釣りに出掛けようかと計画していたところ、それなら家族みんなで行って釣りついでに観光もしようかという話に。

たまたま今週末で消えてしまう有給もあったので、急遽金曜休みを取って、金土の2日間の小旅行へ。

 

という事でまずは1日目!自宅のあるデトロイト近郊からPetoskeyまで北へ車を走らせます。

 

Petoskeyまで大体3時間半、距離にして250マイル。ミシガンに住んでるとこの位の距離は「あー案外近い方やね」と言った感覚になってしまいます。近いといっても遠いですが・・・そりゃ250マイルって400kmですからね(笑)

 

Petoskeyと言えば、ミシガン駐在妻御用達のペトスキーストーンという珊瑚の化石(パワーストーンとも言われている?)が取れる場所で有名ですが。我が家の目的はペトスキーストーンではなく、まさかのサーモン釣りという初めて釣りを目的にした家族旅行です(笑)

 

自宅を出発してから約4時間でPetoskeyに到着!!子連れなのでノンストップぶっ通しでという訳にはいかず、途中でトイレ休憩に昼食と寄り道でいつも時間がかかります。我が家はロードトリップには向いていませんね(汗)

この日は気温が30度近くと高かったけど、目論見通り水温はだいぶ冷たい!!ビーチにいる人、みんなが下を向いて石を探してる姿がなんかおもしろい(笑)

我が家もペトスキーストーンを探したいけど、目の離せない2歳児がいるので集中することもできず・・・。子供たちと水遊びをするだけに。

 

水遊びの後はPetoskeyから30分位西に走ったの所にあるCharlevoixへ。

夕まずめの時間帯はCharlevoixの埠頭でサーモン釣りをすると決めていたので、5時過ぎに埠頭近くのレストランへ行って早めの夜ごはん。

 

テラス席を陣取って運河を眺めながらWallEyeをオーダー。サーモンを釣る前に外はサクサクの衣に中はホクホクのWallEyeを堪能してやりました。

 

夕食後は待ちに待ったサーモン釣りです。釣りに関しては別記事を上げますが、結果はボウズ。と言うか強風&小雨と息子の自由奔放さに危険を感じて即退散しました(汗)

 

仕方がないのでPetoskeyにあるもう1カ所のポイントを覗いてホテルへ行くことに。

ここはミシガン湖から遡上してくるキングサーモンにとって第一の難関となっているダム。少し様子見てると結構な頻度でミラクルジムこと村田基が居るかのように「Fiiiiiiiish!!!!」と聞こえてきて、竿がひん曲がっております。

どうやら小さな針に餌となるイクラやビーズ等を付けて仕掛けを流しているので真似してみることに。が、狭いエリアに凄まじい数の竿が出てるのでお祭りになるのは必須。しかも唯一空いていた場所はダムのすぐ手前のため思ったように仕掛けが流せないので釣りにならずにストレスMAX。よってここもすぐに退散。翌日の早い時間に場所を陣取ってやろうと心の決めてホテルへ向かいました。

 

全くもって釣りができずに終えてしまい消化不良となった1日目でしたが、翌朝の朝マズメに期待を込めて3時に目覚ましセットして子供たちと就寝したのでありました。

 

2日目に続く。

 

MINIC

 

 

トランプ政権下でビザ取得!アメリカ移住の経緯③

 

こんばんわ。MINICです。

 

さてさて、前回の続きです。

前回は本帰国後の2018年のお話でした。転職活動するもトランプ政権の移民政策の壁が厚く高くそびえたっていたので半ば諦めモードになっていた所で2018年が終わりました。

 

年が明けて2019年。本帰国して半年が経過していたのでバタバタと忙しい生活を送っておりました。子供たちは保育園に通い3か月、同時期に妻も仕事に出始めたので日本での生活が落ち着き、慣れてきた位でしょうか。

私はというと、帰任命令のモヤモヤ、そして帰国後の相変わらずな部下への丸投げ業務からなかなかモチベーションが上がらず。基本的に残業はしたくないのでフレックス勤務を最大限に使った朝7時から夕方4時までの勤務時間に、必要に応じた残業をプラスしても夕方6時には会社を出て家に帰る生活を基本としていましたね。

あ、残業したくないというのは、仕事したくないのではなくて、駐在時と同じ様にちゃんと家族と夕飯食べて子供達とお風呂に入り、寝かしつけをするという家族とのコミュニケーションを取りたいためです。

 

と言うのも、アメリカでは朝8時から夕方5時までと基本残業しないライフスタイル。もちろん日本との電話会議がある時には米国時間の夜9時や10時にしてもらって仕事してましたよ。(日本は朝10時とかなので日本にとっても都合がいい時間帯)

赴任当初は右も左も分からなかったのでとにかく何するにも時間がかかっていた時期がありました。仕様書1つとっても英語で、しかも赴任前までの担当デバイスとは違うデバイス。何もかもが1から理解しないといけない中に英語ですもの。その上担当部署でオフィスにいる駐在員は私1人だけ。そりゃ何するのも時間かかる上、「俺がちゃんとせな」という気負いがありました。電話会議前には準備等で夜遅くまでオフィスに残って仕事していることが何度もあり、それが「普通」の感覚でいましたが、ある日の朝上司に当たるDirectorから呼び出しが。訪れると、彼から「今はこちらの会社の社員という位置づけでその様に業務もアサインしているので、基本は残業せずに5時や6時には家に帰ってほしい。もちろん駐在員なので夜に日本との調整もある事は理解しているけど、だからと言って毎日遅くまで仕事していると体に悪いし、子供小さいんだから家族の時間を大切にしなさい」みたいな事を言われました。この時に肩の荷が一気に少なくなった気がして、そこからはあまり無理せずに自分のペースで業務を回すように。結果、それでうまく回ったんですよね。多分自分1人で勝手に気負いしてた感じでした。そして確かにアメリカの方が業務に対してメリハリがしっかりしているというか、オンとオフがはっきりしているような。例えばアメリカに来て驚いたのが会議時間の短さ!アジェンダ以外は基本話さない、会議目的達成したらすぐ終わる。関連する内容になると「それは別の会議で決めよう。会議設定するね」みたいになって日本とは大違い。日本だと会議目的から脱線→ダラダラ1時間でも2時間でも過ぎるなんて日常茶飯事でしたら、まさにカルチャーショック!!!

 

そんな感じで基本夕方5時過ぎには退社する生活。特にサマータイムは日が落ちるのも遅いので、家に帰ってそのままアパートの駐車場で子供を遊び、夕飯を食べ、お風呂入って寝かしつけ。電話会議があればその後会議に入って仕事、みたいな感じで、アメリカ人と同じように家族の時間を大切にできた駐在生活。

これが私も妻も気に入り、アメリカで暮らしていく事に決めた大きな理由かも知れません。

まぁあくまで私の駐在員としての経験です。恐らく駐在員としては珍しいタイプですよね。現に今の会社の日本からの駐在員の方達は「いつ寝てるの?」と心配になる位社畜の様に仕事されている方ばかりなので(汗)

 

と、大分話が逸れましたが(笑)

モチベーションが上がらない中、幸いにも(?)海外と仕事をすることに。サプライヤが外資系企業で、日本にある支社が窓口になるけどメイン開発業務をするのがフランスという事に。

ポジション的にはPM(プロジェクトマネージャー)兼リードエンジニアとしてプロジェクトを動かさないといけない状況だったので、週1の電話会議による進捗確認会議や、新規開発品の仕様を詰めたりと多忙な毎日を過ごしていました。


アメリカ転職活動については、ビザが大敵なのでこればかりはどうしようも無いという結論に至り、気長に細々と活動しようと思っていました。アメリカの大統領が変わると状況も変わるかも知れないという安易な発想で(笑)

そんな矢先の2019年1月末頃、前年の10月にお話を頂いた企業がビザサポートを再開するかも知れないけどまだ興味はあるか?とエージェントから連絡が。
もちろんですと回答すると、じゃあぜひ面接を設定しましょうと。(あとで知らされましたが、会社はビザサポートは乗り気じゃなかったけど、慢性的な人手不足状態。そこをエージェントが積極的売り込んだみたいです)


そこからは話がトントン拍子。
面接を1度して、そのまま現地雇用社員としての内定&オファーレターを頂きました。オファーもらえるという連絡を受けたのがまさかのフランス出張中(笑)とりあえず出張終えて日本帰国後に、オファー内容の確認や給与交渉、そして家族(妻)とこの先の人生について毎日話し合い、回答日ギリギリで最終的にオファーを受けることに。
これが3月初旬。オファーレターにサインをして送付した直後から、現在の会社を退職してアメリカへ移住する事が決まりました。

 

と、今回は日々業務に追われて忙しくしている所に、まさかのアメリカ現地採用のオファーゲット。まさかこんな短期間でオファーもらえるなんて思ってなかったので自分でもびっくりですが、オファーもらった後は日本生活に慣れてしまった妻とオファー受けるか受けないかを話し合う毎日。

最終的にはオファーを受けて今に至りますが、コレ、ホント人生最大の決断でしたね。

 

次回はオファーレターにサイン後、実際にビザ申請をしてビザ取得、そして再渡米までのお話になります。多分このシリーズ最終章かな?

 

それではまた。

 

MINIC

 

 

 

 

 

【Salmon釣り】キングサーモンを求めて

こんにちは。MINICです。

 

去る8月27日の土曜日、人生初のサーモン釣りに行ってきました。

 

日本では中学生から紀州釣りによるチヌ釣り、エギングでのアオリイカ釣りに勤めていて、小学4年生位からのバス釣りも入れると釣り歴は27年位になります。

海で食べれる魚を釣りたいですが、いかんせんミシガンは内陸の州。海までは車で10時間は掛かってしまいます。

近所にはバス釣りの聖地セントクレア湖もあり、近所の池でも気軽にバス釣りを楽しんでいますが、何か物足りない・・・。

そんな中なぜかふと脳内に噴き出した「秋になったら近所の〇〇川でデカいサーモン釣れるで。しかも雌ならイクラ天国」という駐在時の先輩の言葉。その後はインターネットを駆使して情報収集。タックルや釣り方、時期、ポイント等の情報を貪る毎日(笑)

タイミング良く日本への一時帰国もあったので、ここぞとばかりに日本で新たなリールやライン等、高品質な日本製品を購入し、また日本で使っていたエギングタックルが使えそうだったのでミシガンまでお持ち帰り。そんな感じで夏の間に準備万端。あとは釣りに行く日を迎えるだけとなりました。

 

釣り方は色々ありますが、一番ベーシック(?)なのはルアーフィッシング。ミシガン湖に佇む埠頭からスプーンをできる限り遠くへぶん投げます。さすがにバス用のタックルではサーモンを上げることはできなさそうなので、調査の結果サーモン用にタックルを1セット購入。2セット目はエギング用タックルを流用予定。

 

下記は今回新規購入したタックルです。参考にどうぞ。

【タックル紹介】

・ロッド:Daiwa ACCULITE 962MFS

サーモン・スチールヘッド用で、日本のアングラーなら知らない人はいないであろう「ダイワ」のロッド。こちらで60ドルで購入。長さは9.6フィートのミディアムです。多分このレベルでも問題ないと思っています。ちなみに本ロッドの横に移っているのは日本からミシガンに持ち帰ったダイワのエギング用ロッドです。9.3フィートでハード、4号のエギも対応しているので多分これでも十分サーモンとやりあえると期待。


・リール:Daiwa CREST LT 3000-C

・ライン:Simano PITBULL 8 1.5号

一時帰国の際にサーモン釣りの為に新規購入したリール。日本から持ち帰った20年前から使っているスピニングリールは全て2000番のリールなのでちょっとサイズ足らず。どうやらサーモン釣りには少なくとも3000番以上は必要みたい。

本リール、6000円位と正直安物の部類に入るリールですが、日本で買える日本向けリールの品質・性能はアメリカで100ドル以上で手に入る知らないブランドリールより遥かに上だと確信しています。

ラインはシマノのPITBULL 8の1.5号(30lb)。200m巻きを購入しましたが、本リールだと多分150mくらいしか巻けていないと思います。

 

・リーダー:Seaguar Jr. 2.5号

リーダーはチヌ釣り、エギングで使っていたシーガーJr。エギングやチヌ釣りなら1.5号で十分でしたが、サーモン釣りには2号以上あった方が良いとのことでしたので、とりあえず2.5号を購入。写真の他に2号も買っておきました。

 

・スプーン:ACME Little Creo 3/4oz

ミシガン湖におけるサーモン釣りのド定番で、殆どの釣り人が使用しています。色はとりあえず一番人気の蛍光グリーン、そしてよく釣れるというブルーシルバー、そしてアオリイカの経験から朝マズメ、夕マズメに強いとされるレッドゴールドを購入。

その他、グロータイプのスプーンの数個購入しています。(写真左2個がそれ)

 

そして今回向かったのは私の住むデトロイト近郊から約3時間半ひたすら西へ走ると顔を見せる5大湖の1つ、ミシガン湖です。

広大なミシガン湖には色んな場所から埠頭(Pier)が伸びており、多数ある埠頭の中らか今回選んだのはWhite Lakeから流れ出るWhite Riverの埠頭。水温予報をチェックしていると、有名なGrand Havenより水温が下がる(=サーモン接岸の適温な水温)との事から本埠頭の南側をチョイス。

 

前日夜8時半、子供たちの寝かしつけと同時に一緒に就寝。Midnightに起きてそのまま家族を起こさぬよう準備し、そそくさと12時半頃に自宅を出発。

昔夏休みに父親と弟と和歌山の紀ノ川までバス釣りに行った事を思い出し、その時車内で流れていたのと同じB'zのPleasure/Treasureを流しながらひたすら走ります(笑)

現地には大体4時頃に到着するも、駐車場には[No Parking 10pm to 5am]の看板が。近くに行ってよく見ると、この時間に停めているのを見つかったらもれなくチケットがもらえます、という注意書きを見て小心者の私は警戒心マックスに。他に数台車は停まっていましたが、初めての場所でチケットもらいたくない一心から結局様子を見るために近くの駐車場へ移動し、そこで1時間程仮眠をとる事に(汗)

 

結局10分程寝過ごしてしまったために5時半頃に埠頭の先端部分に到着。出遅れたことにより先端には多数の先客が。仕方なく先端から一歩下がった所からいざ実釣開始。スプーンの色は蛍光グリーンをチョイス。地元の釣り人もみんな蛍光グリーンを使用していました。

フルキャストしますが暗くてどれくらい飛んでるかは分かりません。50mくらいでしょうか。沖へ向けて吹く東寄りの風のせいでスプーンもラインも流されます。水深も感覚ですが2~3mくらいだと思われます。

収集した情報だと、底付近をゆっくりとリトリーブする感じでしたので、YouTubeの映像を思い出しながらゆっくりとリールを巻き、小さなアタリを逃さぬよう呼吸を整えて竿先、ラインに全集中します。

 

つ、釣れない。。。

 

数回全集中した竿先にコツンという感触が伝わったので軽くフッキングを入れるも魚の感触は無し。アタリではなかったようです。

 

空が明るくなり始めて周りのアングラーの顔が分かる位になった6時半くらいでしょうか。埠頭先端に陣取っていたおっちゃんの竿がひん曲がります。それと同時に近くの釣り人はスプーンを巻き上げて援助体制に。

数分のファイトの末、デカいキングサーモンをゲットされておりました。

1匹釣れたことによって辺りがざわざわし始めると、その10分もしない内に私の隣の隣で釣っていたおっちゃんにもヒット。同じくデカいキングサーモンをゲット。

いいな~と指を咥えて見ておりましたが、そこで釣れるという事はサーモンは居るという事。やる気がでます。

 

他の人がまだ蛍光グリーンのスプーンを投げている中、7時頃には日が昇り始め、朝日が美しいミシガン湖面を照らし始めた時に、何となくアオリイカ釣りのセオリーで朝マズメの光量変化の時はレッドゴールドが有効だった事を思い出し、スプーンをレッドゴールドにチェンジ。

アオリイカ釣りの経験から、この時間帯のこの色のチョイスなら絶対釣れる気がする!!!も・・・・・・結果はボウズ。

 

結局、朝5時半頃から9時位まで釣りをしましたが、この間にWhite Riverにある2本の埠頭で釣れたサーモンは合計3本。(緑矢印部分、南側で2本、北側で1本。赤は私の立ち位置)

 

 

まぁ今回は初めての釣行で様子見のつもりやったし、DNRのWeekly Report見ると埠頭からのシーズンインもまだみたいやし仕方ない、と自分に言い聞かせております。

が、間近であんなにバカデカいサーモン釣ってるのを目の当たりにすると、何がなんでも釣ってみたくなりましたね。こりゃ9月、10月と毎週の様に往復400マイル走ってミシガン湖に通ってやろうを心に決めました(笑)

 

埠頭なら日本で言う漁港の波止みたいな感じで子供でも安全そうやし、今度は子供たち連れて一緒にのんびり釣りしてみようかな。

来週以降が楽しみです。

 

それでは。

 

MINIC

 

トランプ政権下でビザ取得!アメリカ移住の経緯②

 

こんにちは。MINICです。

 

さて、前回の続きです。

前回書いた通り、元々5年任期の駐在が約2年半と半分の期間で終わってしまったアメリカ駐在。私の場合、2年半、つまり3年目って色んな事が分かってきて一番楽しくなるタイミングだったんですよね。

文化も英語も仕事メンバーも分からず、プライベートも車の運転から買い物、病院までとにかく色んな事に対して「慣れる」事に徹底した1年目。

英語がそれなりに理解し、話せるようになって仕事の仕方もなんとなく分かってくる。さらに同僚と世間話や趣味の話ができるような間柄になって、ようやくアメリカ生活に慣れてきた2年目。

そして駐在員としての役割の中で最大限貢献できるような立ち回りが社内外できるようになり仕事もプライベートも充実。この頃になると米人同僚と2人で飲み入ったりと、さぁ、これからやで!っとアメリカ生活を楽しんでいた3年目。

そんな中突然の帰任命令。正直、とても不本意な帰任なのでやり残した事が多く不完全燃焼状態。なので帰国直後は「もっとアメリカで仕事がしたい」という気持ちが強く、現地企業へ転職することで戻れないか?と色々模索していました。

 

前社には大学卒業後就職してから11年間勤続しており、日本国内でも転職した事がない「典型的な日本人」がどうやったらアメリカの現地企業に転職できるんや?って所からでした。インターネットで色々検索しましたが、駐在→本帰国→現地採用で再渡米と言った特殊(?)な経歴を持つ人の情報はほぼありませんでした。(駐在員から本帰国せずにそのまま転籍して現地採用されるといった人は結構いましたが)

とりあえずResume(履歴書)を書いてアメリカの転職サイト(日本で言うリクナビNextみたいなの)に登録。頑張って書いたResumeと共に、一番大事な「ビザサポート必要」という事をしっかり明記した上で公開設定にしておきました。

そうすると色んなエージェント(ほとんどはインド人らしき名前)から「このエリアでこのポジションがContractであるけどどう?」みたいなダイレクトメールが届きますが、ほぼ100%は「合法的に就業できる」「ビザもしくはグリーンカードは必須ね」と。

いやいや、「ビザサポート必須」って書いてるでしょ!と言いたくなりますが、多分この手の人たちは数打ちゃ当たる精神で手当たり次第メール送ってるんでしょうね。速攻で全てゴミ箱行きにしてやりました(笑)

 

そんな感じで2018年の夏頃から11月末頃まで色々活動していましたが、当時のトランプ政権のためにビザ発給が非常に厳しくなっており、わざわざビザサポートしてまで日本人を呼び寄せるような企業は皆無でした。

もちろん、自分のスキルが活かせそうな企業(例えば当時のFCAやNISSAN、その他自動車関連のサプライヤ)のオープンポジションを日々チェックし、スキルとポジションにマッチしてそうなものには自分からResumeを送付したりもしましたが、やはり最大のネックである「ビザ」で全て撃沈。


そんな中、10月頃にエージェントから「1社だけビザサポートありますよ」という連絡を頂き、即答で応募しますと返答。が、翌日になって「やっぱり現在ビザ発給が厳しい状況なのでサポートは保留となりました」と通知が・・・。
トランプ前大統領の移民政策はかなり強力で高い壁となっていました・・・。

 

この頃になると、さすがにトランプ政権の間は自力でビザサポートしてくれる企業を見つけるのは難しいと悟ったので、少しアプローチを変えることに。直接現地採用を目出すのではなく、日本国内で転職した後その転職先企業からアメリカへ再度駐在できるような企業を探すことに。

少し前に転職活動をしていた友人に早速エージェントを紹介してもらい、国内転職活動を開始。アメリカに支社があり、アメリカと仕事する機会が多く、かつスキルや経験値がマッチする企業を複数社紹介してもらい、その内2社に応募してみることに。

内1社は内定を頂き、給与条件もとてもよかったのですが、この会社はこれから日本に力を入れていく為の人材募集なので、アメリカへの駐在機会はほぼ無く、逆に長期出張があるという感じ。そうなると元々の転職活動目的から外れており、とてもその目的は達成できそうにないと判断したため辞退させて頂きました。

 

そんなこんなでアメリカへ戻る為の転職活動はなかなか上手く進まないまま、アメリカはサンクスギビング、クリスマスと休暇に入り、転職活動も開店休業状態に。モチベーションも徐々に下がってきて、「この状況じゃ多分戻るのは無理そうやなー」と諦めモードに突入。そのまま2018年が幕を下ろしました。

 

と、今回は本帰国してから約半年間、アメリカ復帰を夢見た転職活動の一部でした。

この後、半ば諦めモードとなった転職活動に加え、家族含めて日本生活も慣れてきてもういいかな?と思い始めた矢先、なんとトントン拍子にアメリカ転職の話が進むことになります。

人生何が起こるか分かりませんね。

 

MINIC

トランプ政権下でビザ取得!アメリカ移住の経緯①

こんにちは。MINICです。

まだまだ暑いミシガンですが、朝晩は15℃前後まで下がったりと秋の気配も出てきました。私が住んでいる市では昨日から子供たちの学校(新年度)が始まり、長女は2nd Grade、長男はKindergartenへ登校する日々が始まりました。私はというと、そろそろ秋シーズンが始まるサーモン釣りに行くために情報収集に励む毎日(笑)

 

今回は我が家が駐在員を経てアメリカに移住=現地雇用になった経緯の記録です。トランプ政権が終わりバイデン政権になって移民にも寛容になりつつある(と信じている)アメリカですが、ビザ発給が厳しかったトランプ政権真っ只中に奇跡的にもビザを取得できたお話です。アメリカに渡って1発かましてやりたいとアメリカンドリームを夢見ている人の為に私のビザ取得までの経緯を共有したい思います。

 

3年前の2019年、移民政策を強めていたトランプ政権の下でビザを取得し、再渡米=移住することになりました。その前年の2018年に同じアメリカからの駐在を急遽終えて本帰国したばかりですが・・・。

元々2015年から兼ねてからの希望が叶ってアメリカ駐在を開始した我が家。前々任、前任からの流れでいくと任期は5年。5年でしっかり英語が喋れるようになり、拠点間(日本とアメリカ)の橋渡しする存在になれるようになり、アメリカ文化を学び、米人の友人を作り、アメリカで釣りを行って・・・といろんな野望を持って日々精進していましたが・・・・・・。

駐在2年目から会社の状況のよってその野望の雲行きが怪しくなり始めました。2018年に前の勤め先が会社統合する事になり、それによって我々北米駐在員に色々なことが起こり、私にとっては不本意ながら帰任となって本帰国しました。
元々は会社統合によって社名が変わるため、新しい社名でビザ更新して残り2年の任期満了まで駐在を続けるという話で進んでいましたが、そのビザが切れる(=正式に会社が統合する日)の1週間前の祝日の朝、北米統括する日本人のお偉いさんから「あなたは帰任にすることになりました。早々に帰任準備をして帰国するように」を1本の電話が。帰任命令というやつですね。

正直、「は?なんでやねん!先週まで”あなた達駐在員は必要なので残します”って言うてたやん!」と思いましたが、そこはサラリーマン。会社辞令なので逆らえません。

電話1本のみで帰国命令が出ましたが、そこからは引越準備や子供の事、全て自分でやる必要があったのでてんてこ舞い。急に帰れと言われてもココはアメリカ。日本国内の引越とは訳が違います。とりあえず引越し業者に連絡して約1か月先の引越日を決めて帰国準備開始。幸いにも、ほとんどの駐在員が同じタイミングで帰任だったため、引越し業者も大忙しで日にちが中々空いていないという事で、最後の思いで作りにディズニーワールドに行ったりと少し余裕をもって帰国準備できましたが(笑)

しかも社名が変わった後は今のビザが無効になるので仕事ができない・・・。
駐在先のアメリカ支社側も就労ビザが無い人間に給与を支給することも仕事をさせるわけにはいかないので、セキュリティバッジや健康保険等全て社名変更のタイミングで取り上げられました。。。
唯一、アパートと付与されていた社用車、会社PCと会社携帯のみ帰国直前まで使わせてもらえるように交渉しましたが、それ以外は「もうあなたはうちの社員じゃないんだから、勝手に出入りできないし、ベネフィットもないわよ」ってなドライな感じ。さすがアメリカ(汗)

本帰国までの間、会社に行けない、仕事もできない、でも引越まで時間もあるし早急に荷物梱包する必要もないからもうちょっと先でいいかーとなると平日はやることが無い!!!妻や子供は買い物行ったりESL行ったりと、普段通りの生活を続けていたので家で1人。いやー、定年退職した人の気持ちが少し分かった瞬間でしたね(笑)

そんなこんなで帰任命令から約1か月半後、無事に日本へ帰国。帰国後は住まいを決めたり車を買ったり、アメリカから送った荷物を片付けたりと、家族全員日本での生活基盤を立てることに必死でした。

真夏の暑い時期に船便が届き、暑い部屋で開梱しては「なんでこんなもん送ったんや?」という自問自答を繰り返しながらなんとか片付け完了。(放置した箱も多数有)

帰国後3か月程で子供たちの保育園が決まり、妻も仕事に出てようやく落ち着いた日本生活が始まったのでした。

 

と、今回は駐在員から本帰国までの経緯=序章をなります。

この後、アメリカ熱が冷めない内にアメリカ移住を夢見てコソコソ転職活動をすることになります。

 

MINIC

 

 

ブログ開設のご挨拶

初めまして、MINICと申します。

30歳からアメリカ駐在を経験し、その後転職を経て34歳でアメリカ合衆国ミシガン州に移住し、家族との時間を大切にしながら大好きな車と釣りを息抜きに日々過ごしております。

移住時の生活基盤立ち上げ時に取得した本アカウント。日々の忙しい生活の中ですっかり存在を忘れておりましたが、ふと思い出したので日々の備忘録としてブログを書き始めることにしました。

不定期かついつまで続くか分かりませんが、できる限り日々の出来事を書き留めていきたいと思います。

このブログで、日本から遠い異国の地の生活がどのようなものか興味を持ってもらえれば幸いです。

それでは、どうぞ宜しくお願い致します。

 

MINIC